meteor

銀河系一のフォトジェニックなフェイス

溺れるナイフに溺れた話


溺れるナイフを観た。



直前に“羊の木”を観たこともあって、頭の中が二つの物語で埋め尽くされたような心地になったりもして。

どちらも神さまの話だったなあと。信じるものって救われるのかな、それとも囚われてしまうのかな…




原作は未読なのですが、あらすじを読むあたりではちょっと映画で感じた登場人物像とは違う感じなのかな?と思った。漫画は連載中ということなので、まだ物語は続いているんだな、と思ったら少し希望が持てた。



題名中の《ナイフ》は《十代の自意識》であり、破裂寸前の十代のこころと、剥き出しの刃物のような青春の情景を表しているらしい。十代の若さってお金で買えるものじゃない、素直で、危なっかしくて、なんでもできる魔法のようなものだと改めて感じて、ちょっと惜しくなった。



最初、どこまでが空想で、どこからが現実なのか分からなかった夏芽が過去を思い出しながら小屋で寝そべる場面。ここの菜奈ちゃんがとても色っぽくて思わず魅入ってしまっていたけれど、夏芽が気絶していた事実が映って、夢じゃなかったのか… って分かったときは呆然としてしまったし、今でもやっぱりあれは夢だったんじゃと疑ってしまう。直後にカナが橋の上で夏芽に詰め寄ったあのシーンを見てもなお。


他人や、大人や、社会にとって間違いでも、己の為に生きられるのは十代の特権だと思う。


夏芽のことを助けられなかった航が、土や血まみれになりながらこの映画の中で初めて15歳の姿で泣くのが辛かった。ぶっきらぼうで、感情のぶつけ方や人との接し方が不器用にみえるコウが一番輝く祭りの場を抜け出して、夏芽を探しに走り出す背中、夏芽の神様であり続けたかった、いつか覚めてしまう魔法かもしれないけれど10代の頃には疑う余地など無くて。どこまでも己の信じる範囲が世界の全てだから。

夏芽はなんで助けてくれなかったのとずっと叫び続けてる。それが夢になって、現実になって、呪いを断ち切ろうとする二人はただ自分たちの世界を守ることに必死だった。物事の善悪なんて関係ない。こんなに汚してしまったのに、二人はすごく綺麗だった。でも大人の欲で未遂に終わってしまって。カナちゃんが夏芽にコウちゃんともう会わないで、と言いたくなる気持ちも分かる。





そろそろ大友くんの話もしたい。


この物語の中で重岡くん演じる大友の気持ちは一番寄り添えるところだった。だからこそあれだったんですけどね!!大友が夏芽に寄せる想いは綺麗で、田舎にやってきた美人さんに魅了される等身大の男の子だった。というか、重岡くんの演技がナチュラルすぎて、噛みかけてるセリフすら良くて、大友が重岡くんに、重岡くんが大友にしか見えなくて大変だった…


アイス半分こするところも、夏芽のお母さん綺麗やなって褒めるところも、高校生になってぐんっと大人っぽくなるところも。全部かっこよかった。なんて男子。なんてこった…


バッティングセンターのところも、いつの間にか夏芽と大友の会話から菜奈ちゃんと重岡くんの会話みたいになってるのが自然すぎて、物語の中に吸い込まれるようだった。役者さんはきっと作品を撮ってるときも実年齢より歳下の役だったと思うけれど、若さ故の脆さや強さを絶妙に演じられていて凄かった。


あと大友が夏芽に『パリか!パリにいくんか!』って言うけど、本当に菜奈ちゃんはその後CHANELのアンバサダーか何かを務めて、パリと名のつくショーにも出てたみたいで、現実と物語の境目が時折、分からなくなったり。




大友と映画を観に行く前の日マニュキュアを塗る夏芽。


深い青色を塗っていたのに、ふと一つだけ赤色を塗る。

思い出すのは椿の似合う大友のことで。




ちょっと話は脱線するけど、グループの中でも赤色を背負ってる人ってそれぞれ理由があると思うんだけれど。

やっぱりセンターに立つ人が赤色というのは戦隊ヒーローからのお決まりみたいなものだけど、赤が目立つ・強い色なのに対して重岡くんは我が我がのガツガツしてるタイプにも見えないし、落ち着きはないけどそんなに目立ちたがり屋でもないのかなーって思うし、センターに立つときちょっぴり恥ずかしそうな笑顔を見せるところが私は好きなんですけどね… でも逆にだから赤という色を纏うのかなと思ったりもして。どうしようもなく似合うよなあ、赤色。夏芽に椿くわえさせるところはときめきメーターが一気に振り切れた。




お見舞いで夏芽の部屋に来るところ。

夏芽の爪を見て『お洒落さん、なんじゃの』って言う大友が大好きだった… 友だちだから爪見せてってねだる大友の前に夏芽がマニキュアを塗った爪を出したら、


『この指だけ色がちゃうんじゃな。まるで椿が咲いとるみたいじゃ』って言われて、

夏芽はすごく嬉しそうな顔をするのが印象的だった。




あっ!ねぇ!!!ずっと望月って呼んでたのにキッスする前だけ『夏芽』って呼ぶのほんとずるくないですか?!!?!!?(大声)ずるい!!!!!



あと、あのくすぐったさ、りょうちゃんの“抱きしめたい”を思い出した。あの、メリーゴーランドのシーン。見てて、へへっとなるあの感じ、ムズキュンというんですかね… きゅんきゅん…




さて、この映画を見る前に知ってた予備知識といえば“カラオケのシーンがやばいぞ”というのとだけで。その問題のカラオケ!!!思ってたのとちゃう!!!!!イメージでは、こう、いわゆるカラオケボックスの個室でイチャイチャするんかな…とか思ってた。これ… これ…… 最高すぎて……………、、 大友どんっっだけええやつやねん…



『俺じゃだめなんか』「嫌いになって」『大好きじゃ』ってソファに押し倒して、こんな私を「ありがとう」って泣く夏芽に『笑ってや』と呟く大友が切なくて切なくて…… 夏芽を笑わせてあげることが大友にとって、どれだけ満たされることだったのか。大友は初めから夏芽が航に惹かれてるの分かってたし、だから付き合うとかそんなんじゃなくていいって言ってたのに、でもそりゃ好きだから想いを寄せてくれるなら付き合うもの〜 けれど別れることになっちゃう。単純にかわいそうだよ〜 でも乙女の心と秋の空だからな…

『友だちや、今度こそ』に込められた想いを感じると切ない。なかなか言える台詞じゃないと思うんですよ。恋人じゃなくても、遠距離になっても、夏芽が笑ってくれることが一番だったんだろうなって思うと、人の好きって難しいな〜〜〜〜 私は女子だから、女子の恋愛心しかわからないけど自分のことをこんなに想ってくれる人がいるのに、なんでか茨の道を歩きたがるんだよね…


大友としたのは普通の、世間一般的な高校生の恋愛で、どれだけそれが夏芽にとって心地よくて、後ろめたかったのだろうか。大友はとてもいい彼氏で、自分のことを好いてくれて大切にしてくれて、でもその気持ちに報いることができなくなった(あるいはずっと本当の意味では報いていなかった)夏芽が発した「嫌いになって」が痛くて、それに対して『大好きじゃ』と返した大友の声にそうだよな〜 すきだよな〜〜って泣きたくなった。





大人になると見たくないものや、知らなくてよかったことが出てきてしまうから、それまでに思いっきり自分の感じるままに生きるべきだと思う。多少周りに迷惑をかけてもいい、若いからで済まされる範囲であれば何にも心配はいらない。大人になってから会えるものはこの先ずっと会えるけど、今しか会えないものにはこの先どれだけ生きていても会えないのだから、人生後悔は少ない方がいい。


夏芽は「遠くへ行ける」けど航は行けない。この土地で神さんと共に生きなければいけないから。夏芽は強い光の前をずっと渇望していて、それがカメラのフラッシュやコウの輝きだったのかなあ。


一度浴びた光ってたぶん忘れたくても忘れられないんだろうな、と思う。だから広能にあんなひどい脚本送られても、撮る気が無くなったと言われたら悔しかったし、結局、夏芽は光の前に戻った訳で… 最後の海辺をバイクで走るシーンで航が発した台詞は夏芽が浮雲から出てくるときに実際に言われた言葉なのか、それとも言われたかった言葉なのか。


「ここであったことは何も気にせんでええ」


「お前はお前の武器で、天下取るところを俺に見せてくれや」


「ずっと見ちょるけぇの」



夏芽は一生消えない過去を抱えながらも、航のことを「わたしの神さん」として痛いくらい大事にしながら、生きていくんだろうなって夏芽にとってハッピーエンドのようなラストシーンにめちゃくちゃ心を乱された。


パンフで菅田くんがそのシーンを“幸せの絶頂のような笑顔と、死の瀬戸際のような悲しい空気”と言っていたらしい。言葉が見つからなくてこんな表現だめかもしれないけれど、このまま海に沈んでしまうのではないだろうかと思う瞬間が何度もあったし、綺麗で、純粋で、周りより少し大人びているようで、実は誰よりも子どもだった二人にこの映画を見ている最中ずっと幸せになって欲しいと思い続けてた。十代にあったことって心に深く刻み込まれて、きっと死ぬまで解けることがないだろうけど。





切り取り方の美しい映画だった。今度は誰かと観たい。そして流星くんこれ、重岡くんの隣で観たの… ほんますごいわ…